高祖神楽は今から五百十五年前の応仁元年、戦国動乱の時代、時の高祖城主、原田筑前守種親が盟主である周防国山口城主、大内政弘の要請を受けて京都守護の大任に当った時、戦陣のつれづれに習得した「京の能神楽」を郷土に伝えたものとされていますが、この外にも異説があり、その始めは定かではありません。

永い歴史と伝統に受け継がれて来た高祖神楽は、江戸時代までは旧怡土郡の神職の奉仕で舞われていましたが、明治になってからは高祖神社の氏子の人たちによって受け継がれ、現在は十三人の氏子の神楽師の奉仕で、毎年春の祈年祭、四月二十六日午後一時ごろから夕方まで高祖神社境内の特設舞台で舞われています。

その真価は、昭和四十六年五月十九日には前原町指定民俗文化財、昭和五十六年三月五日には福岡県無形民俗文化財の指定を受けている格調高い郷土芸能であります。

現在奉納されているのは、面を着けずに採り物を捧げて楽の音にあわせ神楽歌を唱えながら静かに舞う舞神楽と、面を着けた数人の神楽師が登場して神話物語りを展開させてゆく面神楽の二種類十一番(神供、高処、笹舞、国平、ヒキ目、磯羅、敷蒔、神相撲、両剣、問答、岩戸開き)が奉納されています。

※採り物とは降神の宿る所になる鈴・剣・玉のこと

終戦後、一時は神楽師が五人にまで減って存続さえ危ぶまれた時もありましたが、この難局も見事に乗り越えて、現在では十三人の神楽師が保存会をつくって技芸を受けつぎ、精進を重ね奉仕しており、これを受けて高祖では区民ぐるみの後援会を結成して郷土の遺産、糸島の代表的民俗芸能、高祖神楽の保存顕彰のために本腰で活動を始めています。

(高祖神楽は大正末期までは、いま舞われている十一番の外に、祝詞神楽、四神御幣、阿良加微、多久佐、御剣、御弓、玉島、オノコロ島、蛇退治、天孫降臨、龍宮の十一番も奉納されていました)



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